MUSTAD社について

Mustadの歴史的な第一歩は、175年以上前にノルウエ―のオスロから北に140kmの所にあるGjovicという小さな町で始まった。

Hans Skikkelstad農場を経営していたHans Skikkelstadは、1832年にBrusveen Spiger og Staltradfabrikkという会社を設立し、釘や蹄鉄釘などの金属製品を作っていた。1877年Hans Skikkelstadの義理の息子であり地方警察の巡査部長をしていたOle Mustadは、彼の息子であるHans Mustadと共にO.Mustad&SonA.S.という会社を始めた。

Hans Skikkelstad

Hans Mustad

Mathias Topp

Haynes Henry

 このHans Mustadは、とても先見の明がある人物であった。 釣り針作りに将来性があることに気付いたHansは、すぐさま当時は誰も考えもしなかった釣り針専門のメーカーを立ち上げたのである。 彼は、他の工場や業者そしてあらゆる地域の漁師から情報を得るため世界中にスタッフを送り、それらを研究することに努めた。今から考えれば、彼のやり方はかなり進んでいたと言える。 後に競争相手が現われるかなり前から市場を理解していたのである。

 しかしながら、彼の作った会社がさらに発展するためには、若かりし発明家であったところのMathias Toppの存在を抜きには語れない。 それまでは、釣り針は、一個一個、手作業で釣り針を作っていたのである。 

 Mustad社に入ってすぐに、Mathias Toppは製造方法の問題点に気付き最初の自動釣り針製造機を発明した。スチールワイヤーを機械に挿入すると釣り針が出てくるもので、この発明は当時かなりセンセーショナルなものであった。今日の釣り針製造機は、彼のオリジナル製造機と基本的なコンセプトは変わらないのは、驚くべきことである。Toppの発想力は偉大ものであったが、細かな部分での技術が十分でないと分かると、Hans Mustadはすぐさま必要なノウハウを外から 取り入れた。


Haynes Henryは、Mustadで働いた多くのイギリス人技術者のなかの最初の人物である。多くのイギリス人技術者からフライタイイング技術、焼戻し、磨き、研磨技術を取り入れた。Hans Mustadの哲学は、可能な限り自社で全ての工程を完結するというものであった。

その結果として、Mustadは自社の従業員を自らトレーニングしながら自身で市場を開拓していったのである。